宿題について思うこと
「宿題を出す先生は良い先生。」どこの誰が言い始めたのかわかりませんが、現役の頃、この言葉を無視することはできませんでした。いったい、だれにとっての良い先生なのか。保護者か、児童か。宿題を出されて喜ぶ児童は、あまりというか、めったにお目にかかったことはありませんでした。ということは、やはり、保護者ということになりそうです。
「宿題を出してほしい。」「先生は宿題を出さないんですか。」「市販の問題集や業者のプリントをさせているから宿題はいらないです。」「塾の宿題や習い事で遊ぶ暇もないのでいらないです。」
保護者会で「宿題・家庭での学習」について話し合うと、上記の意見がよく出されました。
私は、決して宿題を出さなかったわけでもなく、宿題を出すことに抵抗があるわけでもありませんでした。ただ家庭での学習は、家庭が、保護者が主導権をとらなければならないと、30代の頃から考えるようになりました。
宿題を出すと、その処理に時間がかかります。私は、宿題を出したからには、全員やらなければならないと思って出しました。だから、やってこなかった児童の指導にも時間がかかります。やれなかった理由をきいて、再度、同じ課題を与えることもありました。やってきた子との公平性にはこだわりました。やらなくてもいいんだという態度が身につくことを嫌いました。処理に時間がかかるので、毎日、宿題を出すことはなかったです。
本来は、授業で消化できなかった練習問題が「宿題」となるのですね。でも、授業内容の理解不足の児童はそういう「宿題」が解けません。保護者の宿題になることもあります。たかが「宿題」、されど「宿題」です。
今は、宿題を出す先生が、子どもや保護者にとって良い先生とは限らないと考えています。